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遠のく帰村=飯舘村の放射線量 [政治・社会]

8月下旬、南相馬市街地から県道12号線を福島に向かう。深い森の中を曲がりくねったやや登り道を30分ほど走ると飯舘村のほぼ中心地点に着く。車の往来はあるものの、周りの田畑は雑草が伸び放題、ここから左折、役場に向かう。

役場本庁舎は現在も当番制で数人が午前10時から午後4時まで常駐するだけである。あたりはひっそりしている。隣接する福島市の飯野支所の中に「飯舘村役場飯野出張所」として間借りし住民対応をしている。

2年半ぶりに見た飯舘村役場前の放射線量計は0.62μSv/hを指していた。2011年11月に来た時は2.59μSv/hだったので、相当程度線量は低下していることになる。

村は当初2年間で除染を進め、健康で安心して暮らすことができるよう年間線量を1mSv/h以下に下げる「帰村計画」を決定していた。この日も除染は街のあちらこちらでゼネコンJVが精力的に作業を進めていた。

しかし、飯舘村は依然として「居住制限区域」に指定され、約6000人の村民は震災から2年半を経た今も自宅での生活ができない状態にある。

村が目指す「1mSv/h以下」は時間あたりに換算すると0.19μSv/h以下という計算になる。算式は次のとおりである。

1mSv/h÷365日÷14.4時間(屋外分を考慮・・・文科省の基準)×1000

しかし、これでも福島第1原発事故前の線量に比べると一桁値が高い。

飯舘村役場前の記録は見当たらないが、福島市内の事故前の線量は0.04μSv/h、隣の南相馬市でも0.05μSv/h(いずれも2011年7月3日付朝日新聞)という線量であり、こうしたいわば平常値には程遠い現実が立ちはだかっている。

どのくらいたてば平常値までさがるのか。降り注いだセシウム137は半減期が30年である。このままだと単純に計算すると30年たっても、まだ0.3μSv/h程度にしか低下しない。

当然除染が進めばかなり短縮される。それでも村が目指す年1ミリシーベルトさえまだまだ年月を要するのである。

まさに事故は収束していない。
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