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組織というものの怖さ=映画ハンナ・アーレント [映画]

2013年12月30日

シアターキノでハンナ・アーレントを鑑賞した。

この映画は逃亡していたナチスの戦犯アイヒマンの裁判を傍聴したドイツ系ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントを描いた作品。ナチズムを人類「最大の悪」とする戦後世界にあって、彼女はこのアイヒマンの証言を聞き「それは凡庸の悪にすぎない」と主張、批判にさらされる。

アイヒマンはユダヤ人を収容所へ移送する際の責任者だった。裁判で彼は「命令だからやった」「私は手を下していない」「義務感と良心を行ったり来たりした」「上に逆らっても何も変わらない」というような全く罪の意識を感じさせない証言に終始する。

これを聞いたアーレントは彼はどこにでもいる普通の悪だと考えるようになる。ナチズムを赦しているように受け止められたが、アーレントは「この凡庸の悪こそ根源的な悪なのだ」とやや哲学めいた自説を展開する。実はここにアーレントが考えるファシズムの真実があるということが次第に理解されるようになる。

彼女は「人間としての思考を停止させるのがファシズム」と再三強調する。そして人は信念が大事で、何事もよくよく考え抜かなければらないと力説する。

この映画は「組織というものの危うさ」を考えさせる映画でもある。今日もさまざまなところで「組織」の無責任さが露呈している。そうならないためにどうすればいいのか。気づいた時にはすでに手遅れということにもなりかねない。

アイヒマンの公判が実録で挿入され、法定での表情がリアルに映し出される。哲学を描いただけあって難解な映画だがお薦めである。
もう一度観なければならない。

オリバーストーン「もうひとつのアメリカ史」と大島渚「忘れられた皇軍」=問われる歴史認識 [映画]

2014年01月13日
ご覧になった方も多くいると思う。二つのドキュメンタリー番組を紹介したい。
まず、オリバーストーン監督の「もうひとつのアメリカ史」。オリバーストーンといえば自らの体験をもとにしたベトナム戦争を描いた「プラトーン」がよく知られている。つい最近は辺野古移設に反対してマイケルムーア監督などと声明を発表した社会派の映画監督である。

さて、この作品は第2次世界大戦前夜からオバマ大統領誕生までのアメリカ史を振り返る。冷戦下では「ソ連の脅威」、冷戦が終われば「テロの脅威」を大義名分に戦争を正当化、原爆投下から朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争そして中東、イラク戦争へといずれも軍事大国として破壊と大量殺戮の繰り返しだったことを歴代大統領とその側近らの証言で綴っている。


おおよそ「自由と民主主義」を最も重んじるはずの国アメリカの顔とは全く正反対の「殺戮と抑圧」という「もうひとつのアメリカ」の顔が映し出される。しかも、興味深いのはよく知られた戦争の他にも、例えば1972年のチリのアジェンデ政権の反革命クーデターなどのように世界各国の内政に介入し、アメリカ式資本主義を押し付け、搾取と収奪続けてきたことも断罪している点である。また、広島・長崎の原爆投下は戦争犯罪と断定、関係者の証言を交え「必要なかった」と結論付けている。

もうひとつは、12日深夜日本テレビ系列で放映された大島渚監督の「忘れられた皇軍」である。旧日本軍に従軍し戦後復員した在日朝鮮人傷痍軍人会を取材したドキュメンタリー。彼らは両目失明、両足切断などの戦傷を負いながら、日本国籍でないため軍人恩給などの社会保障から排除される。

日本国内は東京オリンピック前夜で盛り上がるが一方で極貧生活を送りながら白装束姿で政府陳情や街頭行動を続ける姿を対比させる。最後に「日本人よ、これでいいのか」とのナレーションが脳裏に焼き付く。


今日、対中・対韓外交が行き詰まり、首相の靖国参拝で一層悪化する。秘密保護法を強行採決し集団的自衛権行使に突き進む。問われているのは、もう一つの歴史認識と確かな想像力である。

「もう一つのアメリカ史」はNHK・BS1が昨春放映したものを昨年暮れ録画しておいたもの。1回50分で10回シリーズ、長編である。再々放送はないようだが、DVDがでているらしい。一方「忘れられた皇軍」は19日日本テレビで再放送が予定されている。
1月14日、加筆
民主党の有田芳生議員によると、登場する李鶴来さんたちは今年89歳、サンフランシスコ講和で日本国籍を失い、恩給法の支給対象外となる。99年に最高裁が立法解決を促すが、いまだ進まず。要請書提出は安倍首相で29人目になる。
昔話ではない。


「あまちゃん」「半沢直樹」=ドラマと現実 [映画]

「あまちゃん」も「半沢直樹」も終わり、ぽっかり穴が開いたように寂しくなった。

「あまちゃん」は「潮騒のメモリー」をつい口ずさんでしまうほどはまってしまった。アキとゆいが津波で破壊された線路を明るい陽光がさすトンネルの先へ走り抜けるラストシーンは復興への明るい希望を想起させた。しかし、よくよく考えてみると現実は厳しい。東北の避難者数は29万人にも及び津波が襲った街並みは更地と化したままだ。福島第一原発の放射能汚染はとどまるところをしらない。

「半沢直樹」はドラマ史上に残る高視聴率で大人気となった。しかし、現実の会社組織であのような「倍返し」は可能だろうか。上役への対抗どころか、労働現場には低賃金で不安定雇用の非正規労働者が急増し、労働法無視のブラック企業が蔓延する。経営をチェックするはずの労働組合も日本は8割以上が未組織である。

ネガティブに考えすぎかもしれない。だからこそ人気ドラマに拍手を送り続けたのだろう。

共通テーマ:テレビ

「ピースとハイライト」「風立ちぬ」 [映画]

このコーナーではおそらく初めてとなるが今夏に出会った音楽と映画を話題にしたい。


聴くまではJTのCMソングかと思ったぐらいである。「ピースとハイライト」サザンの新曲である。新聞のコラムとして書かれても全く違和感のない作詞である。桑田にしては珍しくメッセージ性を全面に打ち出したといえるだろう。


領土問題などをめぐる日米韓の対立を念頭においていることは容易に想像がつく。だけでなく、そうした外交上のつまづきが国際的な孤立へつながりやがて悲惨な戦争へつながった過去の苦い歴史に着目していることも想像する。


「都合のいい大義名分で争いを仕掛けて裸の王様が牛耳る世は・・・」
「狂気20世紀で懲りたはずでしょう?」
「悲し過去も愚かな行為も人間は何故に忘れてしまう?」


この曲にはネットで批判的な主張もあるようだが、サザンには相当昔、沖縄の過去と現状を歌った「平和の琉歌」という曲もある。


あいかわらず歌詞はよく聞き取れないが、軽快なリズム平和と愛を唄う桑田の熱い思いに触れてほしい。




さて、時を同じくして宮崎駿の「風立ちぬ」を鑑賞した。いつもながら難解なアニメである。であるがゆえに人それぞれに違った想像をかきたてる時としてファンタジックな宮崎アニメの優れた点かもしれない。まだ鑑賞していない人は公式HPなどをご覧いただきたい。私はこの映画でもサザンの曲と同様、何もかも失った戦争の愚かさを感じたのである。


飛行機はそもそも人々の夢をのせて大空を飛び回るもの。しかし、日本もイタリアも戦争へ突入していく時代、飛行機は設計者の意図とは全く別の「兵器」となり殺戮の道具とならざるを得なかった。


スタジオジブリの月刊誌「熱風」7月号は「憲法改正」を特集、宮崎監督は「憲法変えるなどもってのほか」鈴木プロデューサーは「9条を世界に伝えよう」と発信した。宮崎アニメにはかならずといっていいほど大空があり、そして森や水といった自然環境が美しく描かれる。そして人間はその自然の一部なのだとされる。


平和がいかに大切なものか「国民の無関心」こそ最大の問題だ(前出「憲法特集」)と危機感を募らせた監督最後の作品を見逃してはならない。




映画「おくりびと」 [映画]

本日、封切り。モントリオール映画祭でグランプリを得た「おくりびと」を観た。

重苦しい映画かと思っていたが、なんとユーモアたっぷり、感動と涙の物語だった。

とかく偏見が付きまとう職業「納棺師」だが、かくも美しく、そして人間の死になくてはならない仕事だとわかる。

チェロのメロディーが重厚にあるいは軽やかに、夫婦の愛とはなにか、親子の愛とはなにか、を考えさせられるいい映画だった。

もう一度観たいと思う・・・これは名作だ。


母べえの時代 [映画]

山田洋次監督、吉永小百合主演、「母(かあ)べえ」を観た。なぜか涙が止まらなかった。

正月に観た「続三丁目の夕日」の時もなぜか顔がくしゃくしゃになった。この時は、ポップコーンをつまんだしょっぱいティッシュで涙を拭いた。

今回は、持ち込んだ「カツサンド」についていた濡れティッシュを使ったら、顔中ソースだらけになった。


治安維持法下で思想や学問の自由が奪われ、拘置所で無残な日々を送る「父べえ」。どうすることもできない国家権力とその時代に対する悔しさか。

いや、拘束された夫を信じて疑わず一途な愛に生きる妻佳代。次々と襲う不幸な出来事へ力強く気丈に生きようとする強さへの感動か。

こみ上げてくるものをこらえてもこらえきれない。

「三丁目に夕日」は自分の育った時代背景とほぼ重なっていたが「母べえ」はまさに日本が第2次世界大戦に突入する戦時中の話、われわれの親や祖父母の時代の物語である。


原作は、野上照代の「父へのレクイエム」。彼女は1927年生まれ。敗戦の年18歳。「自分の少女時代のことを書いた作品」(雑誌「世界」2月号)という。

12月8日の太平洋戦争開戦のラジオニュースが流れていたので13歳からぐらいの時のことである。

彼女の父は、日大の教授時代、戸坂潤らの唯物論研究会に入っていた。研究を目的とした団体だったが「思想的によくない」ということで、32年に大学を追われる。

山田監督は前出の「世界」で、この研究会の講演会に丸山真男が参加したことがあり、その場で逮捕されたというエピソードも紹介している。



治安維持法は、23年、関東大震災を契機に成立した法律だか、その後幾度か「改正」を重ね、事実上の「体制批判」を事前に取り締まる悪法と化していく。

映画では、佳代が獄中に差し入れる書物を大学時代の恩師に借りにいくシーンがある。

恩師は「悪法も法だ」といって、教え子を批判する。佳代は「あの人がどんな悪いことをしたというのです」と応じる。失望して、一緒にいった照べえとすぐ家を出る。

この場面は山田監督によると、哲学者久野修が恩師との間で実際にあったやりとりをヒントにしたようだ(前出「世界」)


さて、佳代は、夫が拘置所に入りなかな釈放されない。ある日突然、「死亡」の電報。絶句する。

それにもめげず、代用教員として働きながら二人の子供を育てる。やがて、終戦。しかし、まもなく、結核で亡くなる。


映画の最後のシーンは、病室で息を引き取る間際の照べえとは母べえの会話。

照べえは「あの世で父べえにやっと会えるね」と手を握り締め話しかける。

聞き取れないくらいの小さな声で母べえは「生きてて、父べえに会いたかった」

照べえは、泣き崩れ、幕が下りる。


戦地では、飢餓で死んでいく兵士がいる、国民は食糧難だというのに、特高警察の幹部は、すき焼きを食べ酒を喰らうシーンもある。

危機だ、危機だと叫びながら、大企業は大儲け、格差が拡大し、官僚と政治家は腐敗のきわみ。為政者は自分たちの意に反するものは、議論抜きで圧殺する。

時代は、変わった。しかし、底流に流れる民主主義の否定は今日もなお形を変え続いている。

いい映画だった。

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